10 「矛盾」

6月3日 月曜日

労働をした。労働中暑かった。作業が終わらなかった。この業務をしているとき、わたしは歯車になっていることを感じる。ただ場にあるだけの屑。もう何も考えないで業務をできるようになって、自我はなくてもいいことに気づく。しっかりと根を張っていることがバカらしかった。午後にある少しの休憩を終えると雨が降っていた。それからうすく掛かった虹がきれいだった。感動を覚えている間、わたしだと思った。カメラのキタムラで55枚の写真を注文。Amazonから届いた用紙が思っているよりも紫だった。藤色のようなものを想像していた。制作がひとつ終わるとまた作ろうとする。もうそんな病。何か作っていないと不安になるのだと思う、きっと。眠くなりたくて横になった。無理だった。6月は始まった。鬼門になると思う。去年は心身の体調を崩して、よくなりなくても無駄になっていった時間を見つめて悪くなった。やりたいことと、やるべきことに区別をつけてゆっくり。進まなかったとしても、それを悔やまない。できない時期だったことを忘れない。ことを覚えておこう。何も望まないから、何も奪わないで。

 

6月4日 火曜日

寝つきが悪く、寝ないままでいようと決心したが、眠って朝だった。きっと3時間も眠っていないけれど、体調はそこまで悪くなかった。一限。授業を終えてから課題をした。あと3つある。RPが溜まっている。少し遅くにお昼を食べて、ツイキャスでFM CUBEの生放送を聴いた。ロマンチックコンサート佐々木が芸人をしている姿をはじめてみた。ゼミに行きたくない気持ちは相変わらずにあった。行って、さらっと流して5限。外から雨音と雷。アルバイト。ミスがあった。帰宅して、パックのサラダに茹でた豚を乗せた。大喜る人たちの「乗客の過半数が「降りたい」と意思表示をしないとドアが開かない電車を見て、笑った。大喜利ってすごいぞ。語彙の多さと、その場を読む空気が必要な気がした。ベッド上で課題を行い、26:00ぐらいに眠った。

 

6月5日 水曜日

もっとカメラを持ち歩きたい。2限から大学に行くから、朝に余裕があるとそう思う。カメラを持ち歩くためにコンパクトにしたはずが、それはあまり為されていない。それより海に行きたい。今年は海パン買いたい。オレンジのアイテムも身につけたい。思考。

大学。たのしくなく、苦でもない。ただ音楽を聴いている時間が長くて、思考もそれほどしていない。最後の授業は教授のことが好きになれないが、半期のつながりだからとも感じた。

 

リリースイベントへ行った。タワレコの地下があることを知った。アルバムを一枚購入。前に並んでいる人たちの金額を聴いていると驚く。一枚だけでいいのかとなったが、円盤はそもそも一枚で十分であると言い聞かせることで取り留めた。抽選箱からチケットを取る。19番。開場。早く入って近くを確保。前にはひとりで、すぐそこにステージがあった。めちゃくちゃよかった。たのしかった。こうゆう時こそペンライトを持ってくるべきだった。目の前にいる姿を見ながらも、左側にあるスピーカーがあまりに近くてぐわんぐわんしていた。音圧にやられる。特典会の準書が特殊で待っている時間が長い。集合写真と、全員からの動画を客席の端の方から見ていた。そっち側に行きたい。でもわたしは自分なりの範囲で楽しんでいる事実もあった。いつも通りにチェキ列に並んでいる。言いたかったことは言えなかった。列に並んで、考えたことは意味を為さない。きっとあと会えるのは、3回。このいつもがなくなることが怖かった。期限があるものだとわかっていて応援しているから今更なものであった。推しはできてよかった。これからも生きて、いろんなことを感じて元気で健やかな日が少しでも多かったらいい。帰り際、椎名林檎の円盤が欲しくなって立ち止まったが買わなかった。渋谷駅までよりも原宿の方が遠いからそっちを選んだ。歩きながら反省した。距離が近いと発見することもあるけど、それを全て伝えるべきではないし突っかかりがあったことは自信がいちばん感じていることだと思うから、人から伝えるべきではないとなった。きっと彼女は自分で成長できる。きっとわたしよりずっと強い。そう思ってももやもやしてたものが澄んだわけではなかった。「群青と流星」と聴いた。

 

6月6日 木曜日

ear(a)の充電がなかった。Beatsをかけて音楽を聴いて走った。柴田聡子の気分で、「忘れたい」を流し秘書学のテキストを読んでいる。まだまだまだ忘れたいと流れているが、わたしは絶賛勉強中。教室からPSPの音が聞こえる。火曜日の日記を読んでいる人に送った。今日は、朝刊、夕刊、夜刊スタイルで書いてみようと決意した。確証はないけど、今日は書ける日だと思った。お昼に小さいメロンパンが4つ入ったものとビスケットを買った。次の授業では中間テストがあった。早く終えると勘違いしていたが、ちゃんと授業を行ったのちにテストがあった。終えた。コンビニでブラックサンダーのミルクのものと、濃いお茶を買って水曜日の日記を書き始めた。思いの丈にそのままかく。書いていると気持ちがはっきりと出てきて、整理が捗った。今後、自分がどうしたいかも固まった気がした。anさんの日記にあった「遊んで暮らして」を聴きながら、電車で揺られていた。無印良品でバックインバックと、カードフォルダを買った。交通系ICが使えないレジで現金がないと思って焦った。お店を出て、駅までの階段を歩いていると、お父さんと手を繋いでいる高校生くらいの子を見た。なんだか温かかった。わからない人だけどいつまでも仲良くしていてほしい。親と良い関係を保っている人に羨ましいと感じることはもうなくなった。ただ崩すことがなければいい。わたしは祈ることが精いっぱい。NOISEIRを聴いて歩いた。帰宅した。ベッドに足を直角にしたまま横になった。Xでやたらとカネコアヤノを見たから、久々に。「アーケード」を口ずさみ掃除。掃除。整理。チェキ。こんなに撮ったんだと教えたい。対象はいない。

 

6月7日 金曜日

「 死ぬ権利を求めることはわがままじゃないんだと思った」と授業できいて、 近からず、遠からずある現実でそんなことが起こる気になった。 死ぬことに対して了承はしないけども、否定もしないことに共感した。それと同時にそんなことで共感して、共有することがよくなったことにも頷けた。死ぬことは何かよくわかっていないから、真っ向に賛成も反対もすることができない。根拠もあいまいなままで、強く言う自信がない。でも人のそんな場面に出会ってしまったら、きっと阻止をすると思う。「自分の人生より、人の人生の方が価値がある。」こともなんとなく理解できた。「でも」が続いていることが気持ち悪いが、同時にいくつもが存在しているかたちの表れだと思ってほしい。わたしもそうであると理解するように、努力する。

「CHERENKOV」、「LUMIERE」を流して、書いた。気持ちのざらつきを解消した。

 

Leica Luxを使ってみた。深夜にインストールした直後、興奮したまま撮った新垣結衣の写真集を超えるものはなかった。いまはライカ透かしを入れられるから、それが楽しくて使っている。何がLeicaのうつりなのかはわからない。影をつけたらそれっぽくなる気がした。ぜんぜんSigmaでいいやとなった。f:id:nantnn:20240609113113j:imagef:id:nantnn:20240609113116j:imagef:id:nantnn:20240609113117j:image

 

 

制作が楽しさの波に乗っているから、このまま波乗りしていきたい。当初とは違くなったけど自分のいいが突き通せれば万々歳。

 

6月9日 日曜日

胃もたれ。昨日食べた肉によって胃がもたれ、気持ち悪くて寝れなかった。だらりとしながら、印刷をすすめ眠くなるまで動いていた。構築することがたのしい。課題もやった。9:00、起床。だるさはすっきりと消えて、ベッドの上で転がっている。少しだけ文章も書いた。6月が終わる。あと数日のうちに、大学の帰りに映画みて、LUUPかシェア自転車でも乗って東京をかけて、朝までファミレスで。みたいな日してみてもいいかもな〜 となりながらだったが、6月はまだ終わらないことに気がついた。扇風機の掃除をして午前中は終了。にしな、BOE OAKNER & THE CHALROLなどを流して午後が始まり。お昼寝と読書。YouTubeを観てたり。夕方から印刷したものをカッターで切っていたら、線がずれていたことが判明。「無駄になった!1マス戻る。」くらいあってくれ。落ち込みたくないから、なんでくらいで済ませたい。深夜に逐一確認もしないでやるべきではなかった。外へいかなかった日は何もしていないように思えた。できることであれば、したことを数えて認めたい。「恋愛サーキュレーション」をきいた。「し」抜き。