デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章/後章を鑑賞しました。
原作は途中で、まだ完走していません。ネタバレをします。考えたことを忘れたくなく帰ってきて、熱が止まないうちに書き留めておこうと思い、筆を走らせました。
前章。
何があっても「日常」にこだわっている回。
宇宙船が飛来しても、父親がいなくなっても、友達が死んでも。高校生の日常は崩れないで、変わらない。勉強して、進路迷って、親とぶつかってゲームして、恋して。最後にやっと変化しそうでも、ともだちみんなで同じ大学。もうここまできたら、執念だろうと感じさせられるほど。
後章。
それからどうなるで、こうなったか!が素直な感想。
まず、前章とは全く別のお話から展開される。上映される前のPG12の画面に驚いた。ターコイズブルーの血しぶきがすぐに映って、変わってすぐにブロッコリー頭の人間が出てくる。誰となるが、いるかもとなった。場面展開が多くなり、おんたんと門出の映っているシーンが少なくなって前章では点だった人たちの意味がわかってくる。それが違和感に感じつつも、それでないと終わりがないからそうなっていると解釈しても理解できた。
ジャーナリスト(名前は忘れた)にサインを求めるシーンが好きだった。あのどっち着かずの意見を持っている人間を書いてくれてありがとう。人の大半はあの意見だと思う。どうでもいい。生活を送れていれば、どうなってもいいの気持ちはわたしに最も近しい気持ちだった。
侵略者の姿や、三人で寝ている時の背景にあったキッチンの作り込み具合にギョッとした。浅野いにおの作品を見ていることを自覚する瞬間だった。
平穏を壊してまで、手にしたかったもの。
最後、東京は「終わり」になった。
地球が終わらなかったことを説明されたが、前章から見てきた場所がなくなったことに変わりはない。あっさりだった。大葉くんが身体を張ったことは意味なかったように、簡単に。(でんぱ組.incの曲を流してくれたのよかったね。)
なんだか、それはよかったように思っている自分がいる。
今、通学するために電車に乗っている。ただ過ごす日々に飽き飽きしてしまっている。よくわからないけど、東京が爆発すれば大学へ行かなくなり、生活が変わるのではないかと希望が見える。これから変わっていくのだ。
はっきりしたのは主人公は結局、おんたんだった。二人はニコイチ的なものではなかった。先生は爆発に巻き込まれて死んでしまったもの。大葉くんが帰ってきたことによって、手にしたかったものは恋だったのかな。それは腑に落ちていない。
自分の中では平穏を壊してまで、手にしたかったものは「平穏」でした。ということにした。
普段の日常がひとつのきっかけによってぶっ壊される感覚は、コロナのときに近い。(旧・新)エヴァとか新海誠作品に近いとなった瞬間もあったが、別に自分のもっと近いところで起きていた。この辺りの作品は、軸があくまでも私たちと同じような世界線で、少し変わったことが起こること。だからデデデデでも同じように感じることに納得がいく。この終わり方に出会うと、バッドかハッピーかはこちら側に委ねられているような感覚になるのは自分だけだろうか。それに答えを出さなくていいよ、とされているようにも感じるのは私だけだろうか。今までが簡単に通用しなくなり、これからの日常ができていく。大葉くんからしたら人間として生きていく新しい日常。おんたんはきっと恋人ができる新しい日常。門出はもっと嫉妬が増えていく日常。人は順応性が高いから、きっと変わったとしてもやっていける。よくわからなかったことは、自分で腑に落としていくしかなかった。
あのさん、幾田りらさん、ありがとう。
絶対聖域って、青春のこと? だったりするのかな。名作だよ。かえりの電車で「青春謳歌」のTHE FIRST TAKEを観た。このときまで我慢していた。よかったよ。
以上。